休日のブランチはホットサンド
グリルホットサンドメッシュで焼きました
6枚切りの食パンをミミごと挟んでオーブントースターに入れます
8枚切りにしたら具材をたくさん入れたとき割れちゃいました
ハムチーズくらいなら8枚切りでいいかも?
大好きなスイカとマンゴーを買ってきたので
冷蔵庫はフルーツだらけ
早く消費しなくては・・・・
以下私事です
ちょっと長いのですがよかったら読んでください
昨年8月、9月と相次いで身内が他界し今年は新盆や一周忌の
法要があります
あれからもう1年あっという間だった気もします
母に関しては10年近く介護をしていたので
私の日常もぽっかり穴が開いたようです
介護が始まった頃は片道20キロの距離を往復しながら
一人暮らしの母の生活をサポート
その後一人暮らしが難しくなり様々な施設を検討し
グループホームへ入所
しばらくは穏やかな日々をおくっていましたが
薬の相性や施設での生活面で心配事も多々ありました
そんな中急病で緊急手術をし生死の境をさまよった母ですが
すさまじい生命力で一命をとりとめました
しかし術後完全介護になってしまい今までのグループホームには
いられなくなりしばらくはリハビリ病院に入院
およそ2年近くお世話になりましたが体調も落ち着いたところで
特別養護老人ホームを探し出しました
私が通いやすい場所で環境も良さそうな施設を
あちこち回りました
全ての施設に申請書を出し待機していたところ
幸いにも私の自宅からほど近い新しいホームに
入所できることが決まりました
個室で日当たりもよく静かなとっても良い施設でした
その頃母はもう自分の力では何もできなくなっていましたが
テレビを見せたり音楽を訊かせたりすると
少々反応もあり私は毎日のように通って声掛けをしたりしました
職員のみなさんも頑張ってくださいました
正直この施設が最期を迎える場所であろうと思っていましたが
母は強靭な体力で5年間もお世話になることになったのです
施設では古株となっていました
医療施設ではない施設なので何らかの医療行為が必要となれば
退所しなければならなかったのですが
幸いにもぎりぎりまで自分の部屋で過ごせました
体調が悪くなり病院へ搬送されその3日後に亡くなるまで
病室でずっと一緒に過ごし看取ることもできました
長い道のりであった母との日々でしたが最期は
私に負担がかからないように逝ってくれたような気がします
誰も住むことがなくなった大きな実家も処分していましたから
いろんな煩わしい手続きも一切なく助かりました
母を看取ったあとは母のために使っていた時間が
まるまる余った感じでちょっと戸惑いました
しかしその直後に今度は義姉(兄嫁)が病に倒れ
入院し1か月後に亡くなるまで一緒に病棟で過ごすことになったのです
※(義という文字を付けるのが嫌で以後姉と記します)
医療従事者だった姉は職場のみんなから尊敬され愛される素晴らしい女性でした
入院中も入れ代わり立ち代わり姉の職場の方が来てくださり
最期も沢山の同僚の方々に看取っていただきました
しかしまだ未成年の子供たちを残していくことは
さぞ無念だったことでしょう
どんなに医療が進歩しても治らない病気があるのが
残念ながら現実です
私にとっても兄家族にとっても大きな大きな存在だった姉
喪失感は言葉に尽くせません
事あるごとに姉のことを思い出し涙が出てしまいます
生前姉から頼まれた残された家族の事
しっかりとサポートしていくことが私の役目です
新型ウィルスの影響で様々な行動が制限されている期間は
母と姉のお墓に行き色々とお話をしたりして心を落ち着かせていました
来月はやっと法要でみんな集まれます
まだまだ先は長いですが家族で助け合って暮らしていきたいと思います
長々すみません
ここまで読んでくださった方ありがとうございます
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